
昭和20~30年代前半のもの。 オリコが発行していたクーポン券は、100円・200円・500円の金券がひと綴りになっていて、お客さまはこれを購入金額に応じて切り離し、ショッピングをしていました。当時の限度額は3カ月で3~5千円でした。(出典:株式会社オリエントコ-ポレーション)
1945年(昭和20年)、太平洋戦争が終結。戦時経済下で中断していたクレジット産業も営業を再開しました。
戦前に岡山の専門店会が各加盟店の掛売りの集金を代行して一括で行っていた方法を改良して、チケット(クーポン券)による月賦販売も開始されます。
1949年(昭和24年)、京都専門店会が発行した「チケット」による割賦販売がその始まりです。
チケット販売は、勤め先を通じて、消費者に金額が印刷されたチケット冊子を事前に交付し、消費者は特定の専門店会加盟店での買い物時にチケットで支払い、その代金は後日給与より差し引かれるという仕組みになります。
このチケット販売は、顧客囲い込みの為の手段として利用され、分割回数も3回程度、割賦手数料もありません。また、消費者の「相互連帯保証」を採用しており、不払いが発生した場合は職場の利用者全員が責任を負いました。
その後、全国各地の専門店会に拡がり、
1953年(昭和28年)全国組織である「日本専門店会連盟(日専連)」、「日本商店連盟(日商連)」が結成され発展します。
信用販売会社も相次ぎ設立されます。
1951年(昭和26年)、日本で最初の信用販売専業会社である日本信用販売(旧日本信販、現三菱UFJニコス)設立。
1952年(昭和27年)、広島に広島職域指定店会(現ライフ)設立。
1954年(昭和29年)、広島に協同組合広島クーポン(現オリコ)設立。
1954年(昭和29年)、函館にデパート信用販売(現ジャックス)設立。
1956年(昭和31年)、大阪に大阪信用販売(現アプラス)設立。
これら信用販売会社も当初、地域的な活動が中心でしたが、全国的に拡がり、大手百貨店等と提携し、特定の地域に限らず、広域で利用できる「クーポン券」の発行を始めます。

昭和30年代後半~40年代のもの。
クーポン券は小切手スタイルの券が何枚か綴られるようになりました。券面には利用金額を書く欄と分割回数に丸を付ける欄があり、お客さまはそれを記入して商品を購入しました。こちらの限度額は3ヶ月で1万円でした。
(出典:株式会社オリエントコーポレーション )
信販会社の全国共通クーポン券の発行は、「地域の中小小売店を圧迫する」と日本専門店会連盟(日専連)、日本商店連盟(日商連)などのチケット団体からの非難が発生。
1959年(昭和34年)、当時の通産省による「百貨店業者の割賦販売の自粛について」の通達により、信販会社のクーポン券発行は一都道府県内に限定されることとなります。
これにより大手信販会社は営業規模の縮小、地域的な会社への分割を余儀なくされたのです。
しかし、1963年(昭和38年)、日本信用販売が「ショッピングクレジット(個品割賦購入あっせん)」という個々の商品ごとの新しいクレジットを開始します。
「ショッピングクレジット」はこれまでのチケットやクーポン券のような特定の専門店と特定の消費者しか利用できないシステムと異なり、様々な業態の加盟店で不特定多数の消費者が利用できる画期的なシステムであり、自社で割賦販売能力を持たない小売店・専門店、メーカー等から次々と受け入れられました。
小売店と消費者の間に第3者機関が加わったより汎用性のあるクレジット「ショッピングクレジット(個品割賦購入あっせん)」は、信販会社発展の大きな原動力となったのです。